■さよなら国立駅舎…「赤い三角屋根」別れ惜しむ撮影会(読売新聞 – 10月07日 21:21)
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この駅には忘れ難い思い出が多数ある。
学校を卒業してから1回しか行っていないが
ついにつぶれることになったようだ。
外から見ると風情がある形だが、
あの、内部はどこよりも古くさく、
なんともこじんまりとして、夜になったら
ホームの端っこのほうには誰もいないような駅舎が、
当たり前の綺麗な駅に変わるのが寂しい気もする。
私は、建造物を見るのが好きだ。
特に古くさい建物を見るとわくわくする。
これは、どんな人がどんな風に
使って来たんだろうというM想が広がるからだ。
K立駅もそのひとつだった。
このたび高架になるというが
ということは、K立からT川駅付近に
多数あった人身事故の多い
くるほしげな踏切も消えるのだろう。
T川でアルバイトをしていたときは、
そこを通らないと帰る事ができなかった。
アルバイト先のお母さんやお父さんは、K立育ちの地元民。
私をからかって、踏切の怖い話をするのだ。(*大迷惑)
真っ暗な帰り道、花やお守りがぶら下げてあるのを見ると
なまら怖かった。
事故なぞないに越したことはないが、
そういう生臭さも高架になれば、
そのうち消毒されてしまうのだろう。
初めてあの駅に降り立ったとき、
暮らし始めたとき、
雨の日、晴れの日、お祭りの日。
桜の時、葉っぱの時、いちょうの時。
友や先生と歩いた道。
いばりんぼの自転車整理員、
商店街のやさしい人、寂しい白犬。
そのころ、私の好きだった人は、
駅までよく迎えに来てくれて
自転車で2人乗りして帰った。
私の記憶が薄れ行くように、あのぼろっちい駅舎も姿を消す。
次に訪れたときは別の町のように見えるのだろう。
まぁ、新しい駅舎もそのうち、ぼろぼろになって、
今の赤ちゃんが老いたころには、似たような感傷を言うだろうけど。
形あるものは皆こわれる。時間はみんなに平等だ。
皆さんにも、思い出の中にだけ生きてる風景はありますか。