うちの発見

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かわいいうさぎのお腹にはお金がいっぱいつまってるの!
(貯金箱です)

最近自分はほっとよがなるものにはまっている。
ほっとよがというのは、普通のよがのようにスタジオでやるのではなく、
湿度60%、温度35度ぐらいの低温サウナ状態のスタジオ(超むしむし)の中で
へんなポーズや瞑想をキメるのだ。

元々、よがは好きだったが、家でDVDみたりしてやっていた。
しかし、それではあきるし、先日からDVDがみつからないのだ。
探しても探してもでてこないDVD。
そこで合理的な私は考えた。
習いにいけばええんや。
幸い、会社の近くにそういうのを教えてくれるところがあった。

ほっとよがは、過酷な環境で汗をだらだら流しながら、
鏡の中の自分と向かい合い、筋をのばす世界だ。
ジムチックな雰囲気ではなく、やはりよがというだけあって、瞑想とかもある。
薄暗くて暑い洞窟みたいなスタジオで、ろうそくのような灯りをともして、
自分の心と向き合い、最後に先生が「ちーん」とけったいな鐘を鳴らす。
そして最後は大真面目に
「なますて」と言って終わる。
最初「なますて」というのがなまら恥ずかしかったが、
おもしろがって言ってるうちになますて大好きになった。
なますて。

そして今日、仕事の帰りにいつもと違う、
どちらかというと同じことばかりを繰り返すプログラム(あんまり面白くない)をやっていたら、
汗かいてしんどい中でふと発見したことがあった。

自分は、自分のことがずっと嫌いで、むしろ、死ねばいいと思って生きてきたのだ。
大嫌いという能動的なものではないかもしれない。
嫌いというか、好きじゃなくて、傷つけようとして生きてきたふしがあることに気づいた。
表面的には、そんなことないけど、
「~しないと自分なんて誰からも愛されない」
「~しない自分なんか死ねばいいんだ」
ぐらいに心の底で思っていたということに、
その単純で何度も同じ動きを繰りかえす中で気づいた。
人からそう言われると、必死で「そんなことない」と守ってきたのに、
心の底では、なぜかそう思ってたっぽい。

なんで、そう思うようになってしまったかは、まだわからないけど、
自分には子供のころから、命への手放しの愛情と、強烈な厭世観が同居していた。
子供のくせに、水からあがったときは、
いつも「こんな人生はいやだ」「もう死にたい」と思っていたのだ。
自分でも、何故そう感じるかはわからなかったけど、あれがいやで、
プールのあとは1人で遠くをみていた。

よがというのは、うごきが単純で、瞑想的要素を含んでいるだけに、
このようにタマネギの皮をぺりぺりはがすように、
心の皮をはがすようなおっかないことがときどき起きるのかもしれぬ。
プチ覚醒だろうか。

だけどこれに気づいてよかった。
恐怖の発見だが、気づかないふりをして生きてくほうが健康によくない。
今後は当分の間、むだに自分を肯定してリハビリにはげもうと思う。

自分好き好き。好き好き自分。だいじょうぶ、安心すれ自分。
近頃、自分を肯定するような体験が少ないので、
いっそう心の深淵をのぞいてしまったのかもしれぬ。

男と女の間には深くて暗い川がある。
いや、自分の心の奥底には、深くて暗い川がある。
誰も渡れぬ川なれど、えんやこら今夜も舟をだす。
今月は、自分肯定月間となす。

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