今、我が社のごく一部の飲み会で大流行しているのが
自らの恥ずかしい
フェチを告白する
というアホな大会です。
順番に自らのフェチズムを告白していくのだが
皆、あるある。ものすごいフェチっぷりだ。
質問していくと可愛いお口から
赤面きわまりない発言が飛び出してくる。
酔った勢いでエロすぎるフェチを告白したせいで
「エロの伝道師」などと悲惨な命名をされた人もおる。
人間は顔や見た目ではないが
知り合うきっかけはそういう単純なものなのかもしれぬ。
私は自らのフェチの1つとして、
声フェチであることを
公に発表した。←大げさ
あまり法則性はないが、ツボにはまる声があるのだ。
自分のことを「自分」とか「僕」と呼ぶとなおよろし。
これも完全なフェチなのだろうか。いと恥ずかし。
声フェチの歴史は昔にさかのぼる。
中学生の頃、ラジオをつけて夜勉強してたら、
NHKモスクワ支局の男子アナウンサーが
ものすごいいい声でしゃべっていた。
アホ中学生の私、即フォーリンラブ。
顔など知るよしもないが、フォーリンラブ。
私は超音波で墜落する蚊なのだろうか。
しかし先日、たまさかに江戸から朋友来たりて
珍妙なることをつれづれに語らふ機会があった。
またこの人の声と話し方が素晴らしいことを発見。
髭を装着しているので、雰囲気はちょい悪系だが
話し方は物腰やはらかく「僕」と自分を呼ぶ。
文章から聞こえる声とは、また違う声なのだ。
是非今からでも遅くない、アナウンサーになって
世界の声フェチを癒していただきたいと思う。
私はブログを書いていたころ、
読んだ人と初めて会ったとき、
文と雰囲気が違うとよくいわれた。
知的でクールな美女を想像していたが、
実際に会うと別の意味ですばらしすぎて
衝撃を受けたのだろうか。
嗚呼、すまんかった。
ウソのない心の声を、文にしたためたら、
本人と違うということは、
日頃生きてる私はなんなのだろうか。
人の文からは、声がきこえる。
だけど、それは実際に話す声とは違って、
鼓膜ではなく脳のどこかを伝わって
中から心の膜をふるわせる。
文章でしかお会いしたことのない皆さんは
どんな聲でしゃべるのだろう。あぁ、猛烈に聞いてみたい。