夜、父からメールがきたので、あわてて実家に電話した。
母の兄弟である、てつひろおじちゃんが一昨日亡くなったというのだ。享年72歳。
おっちゃんは元気だったが、半年ほど前に体調を壊した。
入院先で転んで骨を折り、入院が長引いていた。
だけど、意識は全く元気で、母やその兄は、毎日のように会いに行っていた。
おっちゃんは生涯独身だった。いや、もしかして、私の生まれる前に、
結婚していたことがあるのかもしれない。
でも、物心ついてからはずっと1人だったし、恋人がいるとか、
お見合いの話も聞いた事が無い。
ずっと、小さなぼろっちいアパートや、団地の小さな部屋で暮らしていた。
おばあちゃんが生きているときは、時々行って面倒を見ていたようだ。
おっちゃんは高校を卒業してずっと、
小さな運送会社か何かで働いていた。
明るく、気弱な人だったが、人付き合いが異常にへただった。
小さい頃、たまにおっちゃんが家に来ると、身の危険を悟った。
何故ならおっちゃんの話は異常に長いのだ。平気で何時間も続く。
途中で一人で自分の話がおもしろくなって笑ってたりする。
全然罪はないのだが、何故か、きょうだいの中でも、
たった1人、聞かされ役だった私は、子供なので、
おっちゃんには悪いなぁと思いつつ、
遊びたいときは逃走を心がけるようにしていた。
私は変なところで、気が弱い。
うちの母は4人兄妹だ。そのうち2人が、生涯独身で子供もいない。
おっちゃんのすぐ下の、けいこおばちゃんもそうだ。
けいこおばちゃんは、小さいとき私たちと一緒に暮らしていた。
茶道や華道の資格を持ち、料理学校にも通っていたが、
これにも浮いた話は一切なかった。友達もいなかった。
それでも一部上場の大きな会社で、定年まで勤め上げた。
経済力があったので、祖父と祖母の面倒はずいぶん見てくれたようだ。
私が小さいとき、おばちゃんはよく私にこう言い聞かせた。
「結婚なんてな、しょうもないねんから、
大人になってもしなや。一人のほうが、気楽でええで」
私は幼心に「そやけど、一人は寂しいから、いやや」と言ったら
おばちゃんにおこられた。
だけど母が一度言っていたような気がする。大昔は、結婚したい人がおったようだ、と。これまた、人付き合いがへたで、不器用な人だから、失敗して相当のトラウマになったのかもしれない。
数年前、祖母が亡くなってから、おばちゃんは私の家を出て行った。
一人でどこかのマンションで暮らしているという。連絡もなかなかとれない。
話が戻るが、おっちゃんがなくなるその前の日も、母は会いに行ったそうだ。
そのとき、おっちゃんは何を思ったか、
突然、けいこおばちゃんのことを心配し始めたという。
「あいつ、あれでいいんやろうか。あんなんしとったら、あかんで…」
「ひとりは、ホンマに寂しいで。お前(*母のこと)、家族を大事にしぃや。友達も、大事にせなあかんで。」
普段言わない事を言い始めたので、何かと思ったら、
次の日の夜中、突然心不全を起こして、おっちゃんは一人で行った。
近所の病院なので、電話がかかってきて、大急ぎで駆けつけたが、間に合わなかったという。
おっちゃんのお葬式は、知り合いも友達もいない人なので、
家族のみの小さなお葬式だった。
おっちゃんが亡くなって、母は遺影に使う写真を探した。
だけど、写真自体が少ない上に、いい写真が見つからないという。
やっと1枚いいものが見つかった。
それは、幼い私を膝の上に乗せて、おっちゃんがにこにこしている写真だ。
「ホンマに、ええ顔した写真やった。
そやけどな、若すぎて、今と違いすぎるねん」
結局、遺影に使ったのは、運転免許の更新のため、おっちゃんが写真館で撮った証明写真だった。
おっちゃんの眉毛はハの字になっていて、何か困ったような表情だったという。
「おっちゃん、ずっと一人で寂しかったけど、
どう人と付き合うたらええかもわからんし、
ホンマは、困ってはったんやろなぁ」と母が言った。
きっと、おっちゃんも、けいこおばちゃんも、
人間関係の中で傷つくのに弱くて、
人間から逃げて行った人間なのだろう。
独身でも幸せな人はいる。家族でも不幸な人はいる。
だけど、愛を表現する言葉を持たないのは寂しいことだ。
人生が二度あれば、おっちゃんは、どういう人生を選んだんかな。
私は、切り傷や擦り傷だらけになっても、逃げるまい。
人間との、しち面倒くさくて、温かいかかわりから。