ときおりむしょうに海がみたくなるのは何故だろう。
もしや前世はさざえのつぼ焼きや藻だったのだろうか。
勤め人はありがたいことに給料があるが
其の代わりにむやみにさぼれない(当然)
なのである日の午後、ふと海が見たくなっても
オフィス脱出とはなかなかいかん。
我が社はわりとさわやかな社風だが
残していく仕事を思うと気がひける。
そこで今日は妄想の中で海に行ってみた。
高校生のときによくキセルをして遊びに行った
須磨海岸である(時効)
海の水は澄んではおらず
砂の色も白くない。
ときどき人が浮いてる。
でもどこかなつかしさを感じる海岸だ。
夕方になると、近くの女子高生が来て
棒を拾って砂浜に字を書いてたり、
カプルが散歩してたり。
隅っこの方にこわれたボートが落ちてた。
寂しい風景なのに、寂しくないのが不思議だ。
他にも私の心の中には
心の海がいくつかある。
大阪、神戸、函館、伊勢志摩、
千葉、東京、石狩、小樽、新潟、
鹿児島、山口、高知、淡路島。
どれもがみんな違う顔をしている。
妄想がある限りいつでも海に行く事ができる。
ベッドが砂浜で
窓の外の車の音が波の音。
海の中の魚たちはいま何してるのだろうか。