もうひとつの人生

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一昨日はよぱらいの日だった。
この四月から再びまともな職につき
何が一番変わったかというと
よぱらいチャンス大増量。(*前年比225パーセント)

おいしい手羽先の店にゆき、自由によぱらってきた。
会社のしょっかー(ほぼ女)の集いだったので、会社話でもりあがった。
そこで発見したのだが、道民はおとなしい人が多いので
私のような関西育ちのものは
会社でういておるのかもしれぬ。ひぃぃぃぃ。

以前、接客のアルバイトをしていたとき、
賢明なる経営者であったT長
(ひらたくいえば店長)に
仕事の脳みを相談した。

すると
「あなたは光を消せばもっと幅広く人気が出ます。
でもそれはかお豆さんじゃないし、
長く深く気に入ってくれる人がいる、というのは
希有な才能ですからそのままでいいと思います」と
実に理路整然と言ってくれた。
彼は頭が良い。

光、というのは、素晴らしい表現力であり、
決して私のおでこが光ってるとかいうことではないが、
なんかわからんけど
お地蔵さまでもしょっているのだろうか。

私のような者は、
人と人をつないだりという役にはうってつけだが、
ひっそり静かに庭園の隅でたたずみ
みんなに愛される趣深い石ではない。

さしずめその石を引き立てる
夜光る、あやしい苔なのだろう。
だけど、苔が石になりたい、と嘆いてもしょうがない。
苔には苔の存在価値があるのだ。

でも、もう一つの人生があったなら、
今度は石にもなってみたいし、
なかなか人になつかない、
孤高なぬこのような人生も送ってみたい。

いつも元気だね、ニコニコしてるねとかいわれるのではなく、
あの上品さは深窓の令嬢かとか言われてみたい。

不細工は美人にあこがれ、貧乏人は金持ちにあこがれ、
さびしんぼうは人気者にあこがれ、色黒は色白にあこがれる。
愛しすぎるとそれでも、相手にはなれないと気づく。
これを、無い物ねだりというのだが、
たまに寂しくてこぼす、無いものねだりに罪はないじゃあないか。
本当は心の底で、そのままでいいと知っていても
生きてればもう1つの人生を、想像してしまうときもある。

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