ここ数週間の私は、へんだった。
本来アクティブ人間のはずなのに、
土日といってもずっと家にいて、
床とまったりなかよくしてたり。
それにはやっぱり理由があって、
愛犬がこの前
いぬの星に帰っちゃったからだ。
肝臓にがんができて、発見されたときには、
そこから出血して貧血になり、
だんだん弱って行った。
ある日、ご飯を食べたあと、
動かなくなってしまった。
大慌てで病院につれていったら、
そういう診断だったのだ。
それから、亡くなるまでの10日間、
犬と私は濃い日々をすごした。
ほとんど、入院していたのだけど、
家に帰れた時は、心配で、ずっと同じ部屋でねてた。
おだやかで人なつっこいけれども
どこか孤高な犬だった。
一緒に寝ようとしても、
ふとんの外でじっと、私を見てる。
でも、亡くなる1週間前ぐらいだろうか、
私がどこにいくのでも、ついてくるのだ。
隣の部屋にいけば、隣の部屋へ。
隣の部屋で音楽を聴いていれば、その入り口で。
洗面所で歯みがきしてれば、廊下で。
何をするでもなく、じっと見ているのだ。
名前を呼ぶと、小さくしっぽをふって、
はいはい聞いてますよう、って顔してる。
もしかして、
本当はさみしかったのだろうか。
もっと一緒にいたかったのに、
飼い主は仕事でいつも家にいないから、
我慢してたけど、
もう、我慢しなくていいんだって思って
精一杯、甘えてたのかもしれない。
そういえば、うちのおばあちゃんも、
亡くなる1週間ぐらい前、
突然、仏様のように笑って、
お父さんにこういったそうだ。
「**さん(※父さんの名前)
ほんまにいろいろ良くしてくれて、
本当にありがとうな」
おばあちゃんは、入院していたわけでもなく、
普通に家で暮らしていたので、
父はなんだか不思議に感じたそうな。
そして突然亡くなって、
あぁ、そういうことだったのか、って
気づいたという。
犬も、人間も、
地球から旅立つ時期が近くなると、
何か、感じるものが、
あるのかもしれぬ。
飼い主であるというだけで、
私のことを愛してくれた犬。
犬の本能なのかもしれないけれど、
人は人のことを
そういうふうに愛せるだろうか。
顔がどうとか、仕事がどうとか、
遊びなのとか、好きなのだとか、
そうゆうことを考慮のうえで、
人は人を求めるけれども、
果たしてそれは、愛なのか。
人間だから、しょうがないかな。
胸に手をあてて考えてみたい。
あの子がいってしまった日、
ちらちらと、白いものが、空からふってた。
今日はもう、はげしい雪。
いぬの星では今頃、
楽しい雪まつりしてるにちがいない。
ありがとう。また、いつか、
どこかで、会おうねぇ!